人生観 雑記

日常ブログ

どうも Let it goよりLet It beの方が好きな愛ちゃんです!

生きていたら誰もが1度は辛い出来事があり、それがトラウマになったり考え方が歪んだり命を粗末に扱ったりしてしまったり精神が病んでしまったりなど、幼い自分のチカラでは解決出来ない事に直面してしまう事がある。

そこで他の人(家族 学校の同級生 友達 先生 先輩など)が絡んでいたらその人を絶対許せない気持ちになってしまう事があると思います。

損得勘定で生きるならここで縁を切ってしまう方が損をしないので賢いし精神衛生上も良いと思います。

しかし、例えば家族の場合は縁を切っても仕事や結婚 友人との会話 人生の節目など生きていればどこかで必要になってきます。絶縁したくなる親は毒親と言われるものばかりでしょう。許せないと思います。怨んでしまうのもわかります。

でも友達に「うちの親は毒親で~」と話しても理解は出来ても共感は出来ません。なぜなら体験をしてないからです。よく「女性の生理を男性は分からない」という事があります。”痛いんだろうな”と分かってもどれぐらい想像を絶する痛みなのかは人にもよるので分かりません。

友達に話したところで一時的に気持ちはスッキリしても毒親は毒親のままなので解決には至らないでしょう。許せない気持ちが残ります。

許さなくても困らないし一生許す気は絶対にない人はここで読み終わる事をおすすめします。

許す心

アンガーマネジメントという言葉を聞いた事はないでしょうか。ムカついた時に6秒数えたら怒りの波はおさまるというものです。

人間には向いている事もあれば向いていない事もあります それはやってみなきゃ分かりません。

子育てに向いているとかの表現はどうかと思いますが、産んで育ててみなきゃ自分の子供を愛せるか子育てできるかなんて他人が反対も否定も出来ないものです。そこで産んで育ててやっぱり向いてないわ では終わりません 子供は生きているので子供の人生があります。

子供は親を選べませんし子育てに向いていなくて育児放棄や暴力など虐待をされれば怨んでしまうのは仕方ない事です。

許せないですね。しかし怨めているという事はあなたが生きているという事実があります。本当に救いようのない親ならあなたは生きているはずがありません。ニュースで見た事ありませんか?生きているから怨めるんです。

辛い経験をさせられた事実があったとしてもあなたは生きています。周りや他人と比べるとこの親は駄目だと感じてしまうでしょう 親ガチャ失敗だと。

でも親だって1人の人間です。悪い部分しかない人間なんて居ません 自分にとって害しかない人間でも他の人にとっては良い人間だったりするもんです。そこで「この人はこういう人なんだな」と尊重しても軽蔑してもいいと思います。

正直言うと私は親に恵まれませんでした。他人と比べる事でしか自分が幸せなのか分からなかったり不幸か分からない人間はよく居ます。辛い出来事を話しても「世界にはお前より不幸な人はいっぱい居る」など他人と比べてしまう教師達とも出会ってきました。幸せとはなんなのか 不幸と不運は違うのか 勝手に他人が幸せの基準を決めるな とかは話が長くなるので別の機会にしましょう。

話は逸れましたが親も1人の人間なんだと考えて許してあげませんか。絶対に親は子供を幸せにしなきゃならない!なんてルールもありませんしそれは固定観念や思い込みです。法律違反なら裁かれるべきです。人間は都合良く思い込みをしてしまうものです(私もします)。恋人が出来れば「絶対にこの人が運命の人だ 老後も共に過ごしたい」など思い込みが激しい人も居たりします。思い込みだという事にも気付かない幸せな人がたくさん居ます。でもそれで幸せならそれで良くないですか?わざわざそれは違うなんて言うのは野暮です。

親も1人の人間として生きてきた背景を自分は調べて知っています。

私の母は精神に異常をきたす前は英語の教師をしていて”英語が得意な人”なんだと幼いながらに私は思いました。ある日ビートルズのLet it beを聴いていた時に母と会話するのですが

私「Let it beってどういう意味なの?」

母「ありのままに」

私「そうなんだ(英語分かるってスゲー)」

と本当に英語の意味なのかは分からなかったのですがその時から”頭のおかしい母”から”英語に詳しい母”に代わり人間として興味を持ちました。家を掃除した時に母の日記が出てきてそれを読むと 苦労や挫折 亡くなった祖母との関係など色々書かれていました。私も辛かったですが母も辛い人生だったんだなと分かりました。だから毒親は毒親のままですが1人の人間として理解出来るので同情は出来ます。私に酷い事をするのもそういう背景があるんだなと。 許す許さないは置いといて失敗してしまった人間にさらに失敗を咎めるような事をするのは弱い者が弱い者をさらに叩く悲しい連鎖だと思います。

だから私は母がどんなに駄目な母だったとしても元気で幸せである事を願います。

愚かな考え方だとしても人を憎んで怨んでもそれは一時的なものでその人の全体像が分かる50年後とかに「やっぱり自分の親は駄目な人だったな ははは」と笑って許せる人間で私はありたいです。

自分に嫌な事や失礼な事や悪い事をする人間にも背景に何かがあって結果的にそうするしかなかったんだろうなと同情できます。もちろん悪い事じゃなく良い事をしろよ とは思いますしでも全部ひっくるめて人間なんだと思います。自分が今幸せなら道のりがどんなに険しい山だったとしても今が幸せならそれで良くないですか?

考え方はみんな違うのでそれでも許さない気持ちも分かります。

母との想い出の曲をYouTubeで聴いたのでふと雑記しました。続くかも?

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